ただの庭園ではない! 日本三名園のひとつ「偕楽園」に込められた徳川斉昭の想い “一張一弛” って!?
茨城県にある偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並び「日本三名園」と称される庭園。
現代にも受け継がれる偕楽園を設立した徳川斉昭の “一張一弛” って!?
領民と共に楽しむための庭園「偕楽園」
偕楽園が設立されたのは天保13年 (1842年) のこと。
最後の将軍・徳川慶喜の父である水戸藩第9代藩主・徳川斉昭によって造られました。園の名前となった “偕楽”は、中国の古典「孟子」の一節からつけられており、これには「多くの人と楽しむ」という意味があるそうです。
偕楽園には、領内の民とともに楽しむ場にしたいという徳川斉昭の願いが込められています。
参照元:偕楽園オフィシャルサイト 歴史とあらまし
藩校「弘道館」と偕楽園が立て続けにつくられた理由
偕楽園が設立された前年、水戸藩の藩校である「弘道館」が仮開館しています。
この2つの施設が立て続けにつくられた理由は、弘道館は学問を修行する場、そして偕楽園は学問の余暇の場として2つが対をなす施設であることが挙げられるそうです。
領民と共に楽しむだけの庭園ではなく、そこには学問との結びつきがありました。