江戸のまちで大ブレイク! 20年の歳月をかけ日本で初めて雪の結晶を図にした土井利位 – 茨城県 –
「雪華図説」 国立科学博物館の展示写真
1832年に発行された「雪華図説」は、日本で最初に発行された雪の自然科学書。雪の研究に20年以上を費やしこの本を刊行した土井利位(どい としつら)についてまとめてみました。
居候で生涯を終える可能性もあった? 分家の4男に生まれた利位
土井利位(どい としつら)は現在の愛知県にあたる刈谷藩の藩主の4男として生まれ、後に下総古河藩 (現在の茨城県)の第4代藩主をつとめた人物。
利位が生まれた刈谷藩の土井家は、古河藩土井家からみると分家であり、4男であった利位は他家への養子の縁組がなければ居候として生涯を終えなければならない境遇にありました。
しかし25歳のとき、本家の嫡男の死去に伴い養子として迎えられます。34歳のときに養父が死去。古河藩の新たな藩主としての道がスタートしました。
参照元:古河市 まくらが人物伝11回
超地道な作業を20年! 「雪華」はこうして生まれた
別名「雪の殿さま」としても知られる土井利位が雪の研究を始めた理由は定かではないそうですが、古河藩・家老の鷹見泉石との出会いがきっかけと考えられています。鷹見泉石は蘭学者として知られ、彼が紹介したオランダの本に影響されたようです。
「雪花図説」に掲載された雪の結晶の図は全部で86種類。これらを図にするために行われた雪の観察は20年の月日をかけて行われました。
観察は、雪が降りそうな寒い夜に黒地の布を外にさらして冷却し舞落ちる雪をその布でキャッチ。その後はかたちが崩れないように注意しながらピンセットで黒い漆器の中に入れ、顕微鏡で観察するというものでした。
形を壊さぬよう、吐息がかからないよう細心の注意を払いながらの地道な作業によって雪の結晶の図が世に出ることとなりました。
参照元:古河市ホームページ 古河市と雪華
江戸で大ブームを起こした雪の結晶の模様
土井利位は「雪華図説」の刊行から約8年後には続編となる「続・雪華図説」を発行し、こちらには97種類の雪の結晶の図が描かれました。
雪の結晶の形を用いた模様は利位の官名にちなんで「大炊模様(おおいもよう)」と名付けられ、茶道具や浴衣、浮世絵や刀の鍔などにも用いられ流行に敏感な江戸のまちの町人から武士の間でも大変なブームとなったそうです。
こんな活躍も! 乱を鎮圧した土井利位と日本初の地図を描いた鷹見泉石
歴史の教科書で目にする「大塩平八郎の乱」。1837年に現在の大阪市で起こった幕府に対する反乱で、大阪奉行所の元与力・大塩平八郎が起こしたことからこう呼ばれています。この鎮圧をしたのが土井利位で、この活躍により利位は京都所司代に昇進、翌年には江戸城西丸老中への栄転もありました。
一方の鷹見泉石は、日本で初めてオランダの地図を描いた人物でもあります。鎖国末期であった日本において地理や地図の必要性を重視し、国内外の多くの絵地図を作成。泉石が描いたオランダ地図は日本で最初とされており、高く評価されているそうです。
参照元:輝く茨城の先人たち 鷹見泉石
茨城県古河市にある古河歴史博物館では5月5日まで利位が刊行した「雪華図説」をはじめ雪の結晶をほどこした刀剣や衣類などの展示が行われています。